自分が知っていることなんてほんのわずかだと気づき、子どもに「なんで?」と聞かれたときの対応を見直しました。

今週はなんだか停滞期のような感じでアウトプットする元気がなかったので、ひたすら読書をしてました。

自分の調子によってやることを調整できるのが、自由業のメリット。

 

言い換えれば何事も自己責任、自分次第。

これをメリットと捉えるか、デメリットとして捉えるか。

メリットとして捉えられるようにしたいものです。

 

読んでいたのは矢作直樹さんの「人は死なない」。

 

自分が常識と思っていたことが、いかに狭かったかを痛感しました。

概念が広がった。

”あたりまえ”がひっくり返されたような気分です。

 

大学生の頃、
「科学は他者によって再現可能なことが対象」
「例えば、身近な”長さ”というものも、ある意味あやふやなものである」

というような内容の本を読みました。

世の中のことは、なんでも科学で解明できるし解決できるもんだと思っていた私は、かなり衝撃をうけました。

 

のに。忘れてた。

科学が発展して、なんでも科学で解決できると思いがちです。

でも、人間が知っていることなんてほんの一部。

(そもそも、科学で説明できないことがあるかもしれない。)

 

仕事でも育児でも「正解」があるんじゃないかって思っていろいろ調べちゃうけど、一般的に正解と思われていることだって、本当に正解かどうかわからない。

  

そう考えると、子どもに「なんで?」って聞かれたときの対応を見直さねばと思いました。

「なぜ?」と聞かれたら、自分のもっている知識の中で答えようとしちゃうけど、自分が知っていることなんてほんのわずか。(それも正しいかわからない。)

 

だから、あんまり「答えよう」「教えよう」って構えすぎないようにしたいなと思います。

「なんでだろうねぇ」って感じで返してもいいよね。

親や教師が「わからない」と答えるのは、なんだか悪い事のように感じていたけど、むしろ知らないことのほうが多いと思っていたほうが事実だし、お互いのためになるかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました