衝動的にSNSのアカウントを消した話。

夏から闘病していた祖母が亡くなりました。

私はおばあちゃんっ子だったし、実家は7年ほど前に家出してそのままの状態なので、祖母は私にとって唯一安心して会える肉親だった。

いつかこういう日が来るとは思っていたけど、こんなに早くに来るなんて。

 

とはいっても、祖母の病気がわかる少し前から、偶然、死についての新たな価値観に触れていたので、思っていたよりダメージは大きくなかった。(もしかしたら、まだ祖母の死が現実として受け入れられていないだけかもしれない。)

「死についての新たな価値観」だなんて、なんだか怪しげな感じもするけど、そういう考え方もあるのかなあという、ぼや~っとした感覚。これについては後日言語化してまとめようと思っています。

<追記> 記事にしました。

 

さて、衝動的にSNSのアカウントを消した話。

祖母と会えなくなってしまうこと、絶縁状態だった両親に会う機会が増えたこと、両親と仲直りしてほしいという祖母の願いが叶えられそうにないという申し訳無さ。

心の負担がちょっとずつ蓄積しているところに、自分の仕事も大きく変えていかねばないということに直面し、

ふと、消えてしまいたくなりました。

 

「消えたい」って思ったというより、そのときに衝動的にSNSのアカウントをたくさん消したことを思い出すと、擬似的に消えたくなったのかなって思う。

Twitterは特に、やりとりをさせてもらっていた人が何人かいたので、何も言わずにアカウントを消してしまったことが心残り。

 

これって、自殺に似ているなと思う。

ちょっと前に知ったんだけど、自殺って遺書があるものだというイメージがあるけど、遺書がない事例のほうが多いらしい。

「あ、死んじゃおうかな」

ってふと思って、衝動的に自分を殺してしまう。

 

SNSのアカウントならやり直しがきくけど、命はそうはいかない。SNSのアカウントでも心残りがあるのだから、自殺してしまった人もきっと心残りがあるだろうな。

 

SNSのアカウントを消して、つながりのあった人と離れてしまうのは悲しいけど、いい機会だからしばらくパソコンを開くのをやめていました。

このブログもやめようかな、と思ってました。(でも、衝動的に消せなかったから、たぶん消すことはできないなと思う。)

 

でも、パソコンを使わない間に、やっぱり私はアウトプットをすることが好きらしいってわかった。パソコンを使わないようにしていても、ひたすらノートに考えついたこと書き続けてたから。

人の死や悲しい体験に意味があるとは思わないけど、能動的に、何かに気づくきっかけにしたいと思う。

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