憧れる生活と、情報とのつきあい方。(ちょっと極端な話。)

ここ最近、なんだか妙な気分です。

 

何にでもメリットとデメリット、裏と表、いろんな言い分があるから、物事を一方的にみないようにと思っています。

子どものケンカ、便利なもの、流行りのもの。
宗教だってニュースだって、陰謀論だって。

絶対的に正しいものは滅多にないし、反対に100%の悪や間違いも滅多にないと思っています。

 

この2年間、コロナによって生活や常識がすっかり変わりました。みんなマスクをして、みんなコロナのことを考えています。

そこで、ウクライナとロシアの問題。
子どものケンカだって100%どちらが悪い、ということはないのに、なぜかみんなウクライナ寄りでロシアが悪。子どものケンカだって双方に言い分があるだろうに、ウクライナとロシアの言い分も、歴史も、何もわからないのにウクライナ寄り。なんでだろう。

 

悪とされる側にも目を向ける。常識や「みんなと同じ」を疑う。そうしていたら、常識だと思っていたことがほんとうに違うのでは?という気持ちになってしまいました。信じていた(つもりになっていた)常識が覆される驚きと恐怖。

もう、宇宙人もいるかもって思う。(←文字にしてみて我ながらびびる。何言ってるんだろう。でもいるかもしれない。)

 

普段あまり流行をおわないし、TVなどもみないのですが、最近は自分で考えたりアウトプットするよりも、情報を得たい欲求に振り回されています。

今、目の前で起きている現実(生活)より、溢れかえる情報に意識を向けることが多くなってしまいました。

物事を一方的にみない、という意識でいようと思っていたのに、いつのまにか振り回されている。このままではいけない。

 

結局、自分にできるのは、

情報の収集は中立の目線で「ある程度でやめる」こと。それから頭の中でとどめずに何かしらの形でアツとプットすること。頭の中だけで考えていたら、反芻(はんすう)思考になって精神的に病んでいってしまうので。

自分で自分の機嫌をとる、とはよく聞くけど、
自分で自分の生活をまかなえる技術を習得したい、と思うようになりました。

便利な世の中だけど、基本の基本は衣食住。
料理はまあまあできるようにはなったけど、料理の素材(野菜とか)を作った経験はほとんどない。必要な服もそんなに作れない。スーパーがなくて、電気もガスもなかったら、生きていけない。

衣食住、すべてにおいて何かに依存しなければ生きていけないなんて、(潜在的に)不安になって当然です。

 

ということで、一昨年からはじめたベランダでの野菜作りの種類を増やしました。まあ、気休めかもしれないけど、、、。

それから、前回の記事のように自分や家族の健康についても考え直し。

瞑想も、再開しようかな。ちょっと前に習字に切り替えてしまったのだけど。松果体、ちょっと気になるワード。

 

今回は、たぶん普通じゃない、私の考えを書き連ねてみました。ちょっと変かも。数年前の私が読んだらひいてしまいそう。笑

でも、今の私が大事だと思ったから、言語化してみました。

 

憧れるのは、おばあちゃんのような人であり、くらしです。

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