いらないものをいただいてしまったときの対処を考える

もうすぐ義理の祖母(以下、祖母)の誕生日。プレゼントを何にしようかと夫婦で相談していたら、年配者ってやたらとモノをくれるよねっていう話になった。

夫いわく、祖母はもらえればわりと何でも嬉しい人。あげる側の気持ち的な部分(喜んでもらえそうなものを考えたり探しに行ったりすること)より、もらった量(というか、もらったという事実)に喜びを感じてるのではないかという。

ああ、うちの実母もそんな感じ。

 

何でも喜んでくれるというのは、あげる側としてはプレッシャーも少なくてありがたい。

でもなあ、自分はそうではないんだよな。もらえるのはありがたいけど、いらないものはいらないじゃん?

時代背景もあるのかな。年配者が子どもの頃って戦時中だったりしてモノが少ない時代。モノがあるだけありがたいと、今でもどこかで感じているのかもしれない。

今はモノが溢れかえってるよね。(新商品が出たり、買いたくなるような情報も溢れかえってるから、満たされない気持ちにはなりがちだけど。)

祖母も母もやたらとモノをくれる。 モノをあげること自体に一定の価値があるのだろう。

モノを所持してることに価値があるから、それを誰かに渡すというのは、もっと大きな価値がある。  

 

でもなあ、そんなに漬物ばっかりもらったって食べきれないし、急に来客用の食器を5セットももらったって、賃貸のうちには置くとこないしそもそもそんな来客ないんだ。 必要ならば紙皿とか便利なものがその辺ですぐ買えるし。    

 

ちょっと言いにくいけど、時にありがた迷惑だったりする。

笑顔で「ありがとう」って受け取って、さあどこに置こうかと悩んで、本当に買いたいものは置く場所がなくなって買えないし、捨てるのも忍びない。

あげる側は、もらう側の気持ちまで考えてるのかな?って感じてしまう時も、正直ある。

 

私がいくら「いらない」と言ったって、くれるのよ。

もらって嬉しいはずだと思ってるんだよね、きっと。

説明したって、くれる気がする。というか、気分を害してしまうかもしれない。もう、価値観が違うんだ。

いや、「説明したってくれる気がする」っていうのは私の憶測で、きっと今後も私は説明しないし、他の人も説明しないんだろう。

 

祖母や母はいろんなモノをうちにプレゼントしてくれて、自分は満足だし、相手にもいいことをしたと思っている。

いや、それ、実は困るときもあるんです。・・・なんて言えないなあ。

今までのプレゼントは迷惑だったの?これからどうしたらいいのかしら?って混乱させそうだし。

 

でも、うちもいらないモノをもらったって困る。とりあえず笑顔でもらって、できることならちょっと飾るとかして、捨てちゃうっていうのがいいかな。

ちょっと悲しいけど。ちょっとストレスだけど。これが今のところ、一番の妥協案。    

こんなもんいらねえ!ほんとに欲しいものが買えねえ!まじ迷惑〜!って思いながら、押入れの奥につめ込むのは、お互いにとって1番良くない。

きっと私のこの価値観も、私の子どもたちの世代にとっては古い価値観になるのかもしれない。

そのときに、自分はどうしてほしいだろうか。

自分が長年良いと思ってしてきたことが、実は迷惑だったとき。

 

うーん、早めに指摘してほしいなあ。笑

指摘してもらえるような関係をつくりたい。せめて自分の子どもたちとは。(そういえば、私と実母は絶縁状態になってもう2年。信頼関係、大事。)

 

私自身、今はわりと柔軟に考えられていると思ってはいるけど、年を重ねると柔軟さが減っていきそうよね、どうしても。

柔軟でいたいし、思いをうまく伝え合える親子でありたい。

  

ひとまず、モノは大切にとか、モッタイナイとか、言い過ぎないようにしよう。時代に沿った考え方をしたい。

 

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