「子どもはもう産まないから、パイプカット検討中」について思うこと。

私は強迫的なくらい「死」について考えることが多いと思っています。毎日、寝る前や出かける前には「これで永遠の別れになるかもしれない」って必ず不安になります。

そこに、たまたま今年はじめに脳梗塞になり、家族の名前以外の固有名詞がほとんど思い出せなくなるという経験をしました。自分が死んだらって考えることがまた増えてしまいました。

 

脳梗塞の原因が不明で、お医者さんには妊娠によるものかもね、今後は妊娠出産はやめたほうがいいと言われています。

私は体の機能としては妊娠できないわけではないけど、また妊娠したら脳の異常が起きるかもしれない、後遺症が残るかもしれないということで、もう妊娠することはできません。

 

あるときTwitterをながめていたら、「もう子どもはつくらないから、夫のパイプカットを検討中」というツイートがありました。

そうか、避妊方法っていろいろあるのか。

ゴム以外は、ピルを飲んだり、体内に何かを入れたりという女性側が対策をする方法しかないのかと思っていました。

 

パイプカットとは、男性の精管を切断し、精液の中から精子をなくす避妊法。バセクトミーともよばれていて、アメリカでは10%ほどの男性がこの手術を受けているらしい。

日本では「パイプカット」ということばにあまりよくないイメージがあるようなので、ここでもバセクトミーと表記することにします。

 

バセクトミーは避妊率が高く(コンドームは92~27%に対し、バセクトミーは99.5%))リスクも低いらしい。リスクが少ないなら、いい方法かも!って思ったんだけど、よく考えたらうちの場合は違いました。

 

 

うちは、私の脳に問題があって、妊娠を避けなければならない状況です。べつに子どもがほしくないわけじゃない。

もし、仮に私が早くに死んで夫が再婚するとして、バセクトミーをしていたら、夫は子どもがつくれなくなってしまう。

それは嫌だ。  

 

私が早くに死んでしまったとしたら、夫や子どもたちには自由に幸せに生きてほしい。

再婚するもしないも、夫や子どもたちが幸せになれるような選択をしてほしい。

 

だから、バセクトミーとやらは、「うちもうこれ以上子どもうまないし」っていう理由ではしたくないなあと思う。私は。

 

 

でも、なんだかもやもやする。 私が死んだら他の人と再婚していいという前提だものね。こんなこと、軽々しく言えないよね。  

でも、もっと大きな大きな問題に気づいてしまった。

 

もし夫が再婚したとしたら、私は夫と一緒のお墓に入れないということよね?

それは嫌だ。

再婚はがんばって耐えたとしても、お墓は一緒がいい。なんなら骨壺も一緒がいい。まぜてほしい。死んだら骨壷で隔たりができてしまうなんて嫌だ。笑

 

 

この話、いつかちゃんと夫に話しておきたいって思ってるけどなかなか言いだせない。言い出せないうちに私に何かあったら困るから、とりあえずここに書いた。

夫はこのブログしらないけどね。(たぶん)  

 

言い出せないくらいなら、健康的な生活をしよう。人と関わることと歩くこと、質のよい食事がとても大切らしい。鈴木祐さんの本に書いてあった。

(ちょっとタイトルが好きじゃない)(でもエビデンスに基づいていて勉強になった。)  

 

ということで、私が早くに死んだら夫は再婚してもいいと思うけど、お墓は一緒がいいという話でした。笑

死=「肉体は滅びるが、魂は生き続ける」というのであれば、お墓の意味ってなんなの?とも思うけど。矛盾。人間だもの。(?)

 

↓死と肉体と魂について。

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