ぼくが子どものころ、ほしかった親になる(幡野広志さん)

こどもたち

 

幡野広志さんの「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」を読んだ。

 

幡野さんは2017年に血液のがんを発症し、余命3年の宣告をうけた方。3歳の息子さんがいらっしゃる。私自身は、幡野さんががんを発症した2017年に娘を出産し、今自分の生き方に悩み試行錯誤しているところ。

そんな時に出会った本。

幼い子どもを育てながら余命3年と宣告された人がどんなことを考えているのか、興味をもった。今、だいすきなはずの娘にイライラしてしまうことが多々あるから。

 

こころに強く響いた箇所。

 

小さなところで選ぶ練習ができていない子どもは、恐ろしくて決断できない

 

こどもたち

 

① 親が日常的に子どもの選択を否定し、自分がよいと思ったものを押し付ける

② 自分で選んで失敗することに怯え、挑戦しない、やりたいことがみつからない大人ができあがる

 

大人って、自分の価値観でよいと思ったものを子どもに押し付けがちだなと反省。

 

暑い日に冬の格好で出かけたっていい。こどもが暑いと感じたときに脱げばいいし、気温や天気によって適切な服装があることを肌で実感して学べばいい。

何もかも親が言葉によってアドバイスするのではなく、子どもの体験から学ぶことを大切にしよう。

 

上下が合ってなくてちんちくりんな服装だっていい。子どもには子どものこだわりがある。その服を着て安心するかもしれないし、その服を着ればパワーが出るような気持ちになるかもしれない。

 

 

思い返せば、私も子どものころに親の価値観を押し付けられて嫌な気持ちになったことがたくさんあった。

あの子はいじわるだから一緒に遊ぶのはやめなさい。お年玉は全部貯金です。漫画は買ってはいけません。大学生になっても、男がいる飲み会には参加するな。などなど。

 

家を出るまで続いた。

「あなたのため」「心配だから」「失敗させたくない」という、優しい親が言いそうな言葉を盾に。

 

「あなたのため」
親が恥をかきたくないからそんなこと言ってるんじゃない?

 

「心配だから」
信頼されていないんだな。

 

「失敗させたくない」
失敗することばかり考えてもう何もできないよ。

 

私は結局親と同じ大学の同じ学科に進んだ。親と同じ、教員になった。親はこれを望んでいたのだろうか?

 

家を出て、結婚して、新しい価値観に触れて、教員を辞めて、やっと自分のことを自分で決めている実感をもてるようになった。

ずっとずっと、視野が狭かったな。

 

もっと自分で選ぶ練習をしていれば、いろんな挑戦ができていたのかな。そう気づいたから、今からでもいろんな挑戦をしていきたいと思った。

 

子どもに選ぶ練習をさせる。失敗もさせる。

 

私は娘に選ぶ練習をさせたい。当たり前だけど、娘に選ばせるということは成功することもあれば、失敗することもある。

でも、幼い娘がする失敗というのはほんの小さな失敗だ

 

ちょっとくらい怪我をしたって今ならちょっとした怪我。お年玉をわけのわからないことに使ったって、その額は大人になってちょっと働けば稼げる。

怪我をしたときに「こんな遊び方をしたら危ないな」って気づけばいいし、親がちょっと危ないかな?って思うようなことでもバランス感覚が鍛えられるかもしれない。お年玉の使い方に失敗したって、次はもっと使い道を考えようと自分で気づくかもしれない。

 

なにもかも親が「教える」のではなく、子どもが「気づくのを見守る」姿勢をもちたいと感じた。その積み重ねで、いつか子どもが大きな決断をするときに自分なりに考えて決められるようになったらいいな。

親がほんとうに失敗してほしくないことって、就職とか結婚とか、そういう大きなことだけだもんね。(そういうのですら別に転職したって離婚したって、自分の考えをもとに選択するのであればいいことのように思える。)


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