「勉強しなさい」は誰のため?勉強と信頼について

コロナでの休校中の話ではなく、長期休みの話でもなく、普段の宿題について。

もと公立中学校教諭として思うことをかきます。(私立とか小学校は事情が違うかも。)

 

宿題に関する今までの記事:

① 学校の宿題は必要か~もと中学校教諭が考える、家での理想的なすごし方~
 家でのすごし方は、生徒それぞれの自由(自己責任)にすべきという内容。

② 宿題が不要だと思う理由①
 子どもたちが忙しすぎて、余裕がない。個性やこころの豊かさを育むような時間の余裕や、時間の使いかたを考える経験ができない、という内容。

③ 宿題が不要だと思う理由②
 全員に同じ宿題をやらせるのは難しいことと、教室の雰囲気が悪くなるという内容。

 

今回はその続きです。

 

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今まで、「宿題が不要だと思う理由」を考えてきました。そもそも勉強や生き方全般に関して思うことなんだけど、

 

今の世の中って、失敗することを恐れすぎたよね。

というか、親も教師も先回りして、子どもに失敗させないようにしすぎだと思う。

 

子どもに勉強をやらせなきゃ!と思う人は、「小児科医のぼくが伝えたい、最高の子育て」を読んでみてほしい。

私はこの本を読んで、自分は子どものことをあまり信頼できていなかったのかもしれないと思った。

失敗したっていい。失敗しないと成功はないというし。

 

私は、子どもの成功のためにあれこれ与えるより、

子どもが失敗したときに、そばにいて、必要ならフォローしてあげられる親になりたい。 

子どもから「余白」を奪って、あれもこれもやらせようとしてはいけないと思う。

 

 

学校の勉強は役に立たないという人がいたり、「学校では教えてくれない○○」みたいな本が流行ったりしてるけど、

なんでこんなに学校に対するイメージ悪いんだろうね?

 

私は、勉強”させられている”場所と感じているからなんじゃないかなと思う。(部活もね)

「勉強しなさい」と言われるから、勉強したくなくなる。(←心理学的にそういうものらしい。)

 

あと、学校でたっくさん勉強させられているから、社会に出たら勉強しなくていいと思ってるのかな?とも思う。

人生勉強の連続。その時どきで勉強すべきことが出てくる。

だって、小学生や中学生に、給料のうちの税金がどうとか、家を建てるときに知っておくべきこととか、子育てのあれこれとか、教えてもピンとこないでしょ?

 

生活している中で、自分で興味をもったり、必要性を感じたりしたときに、自分の力で学ぶ。

そういう経験や、自分の力で学ぶ練習こそ、小学生や中学生の頃にさせるべきだと思う。

 

 

余談。

私は学校が好きではないなら、高校に進学する必要はないと思っている。

「みんなが行くから自分も行く」という考え方なのかな?

まあ、今の社会が中卒?大丈夫??って雰囲気なのがまず一番の問題なんだけど。

大学も同じ。こんな話、壮大になってしまうので、今は深堀りしないー。

 

※おすすめの本。読みやすくてすぐ読み終えちゃう。

 

※記事にもしていました。

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