子育てや宗教への偏見の正体を考える

「子育て」や「専業主婦」と聞いて、どんなことをイメージしますか?

 

仕事をやめる前や、子どもを産む前は
「子育てなんて昔からみんがやってるんだから楽勝」
「専業主婦?働かずに家にいれていいよねー」
なんて思っていました。

でも、子育てをしてみて、専業主婦になってみて、自分の浅い考えにびっくり。

こんなに大変だとは。こんなに孤独だとは。

いつまで続くかわからない。お先真っ暗、と感じたこともありました。

 

でも、子育てや専業主婦を経験していない人は、もしかしたら以前の私のように「子育て楽勝、専業主婦はいいよねー」なんて私に対して思っているのかもしれない・・・。

そう思ってはやりきれない気持ちに沈んでいました。

以前の私は、子育てや専業主婦に対して「無知のために偏見をもっている」状態だったのでした。

 

 

無知が偏見をうむ、といえば他のことにもあてはまります。

例えば宗教。

宗教ってきいただけで嫌悪感がわきそうだけど、そもそも宗教ってなんでしょう?

 

私はミッション系(キリスト教)の中学校・高校に在籍していたので、なんとなくキリスト教には親しみを感じています。(ちなみに幼稚園はお寺。笑)

クリスチャンの先生や友だちもいるし、毎朝礼拝もしていました。聖書の授業もあったし、教会に通った時期もありました。

何も変なことはありませんでした。

 

聖書の授業は、科目のひとつとして捉えてたし、礼拝は賛美歌いいなー、パイプオルガンの音いいなー、牧師さんの話は眠いなー、こんな世界もあるのかー、と、キリスト教が生活の中に溶け込んでいるような感じでした。

否定も肯定もしようとしない、純粋な中高生の頃に、こんな経験できたって貴重だったと思います。

 

宣教が嫌だと思う人もいるかもしれないけど、宣教って、例えば何かいいことを思いついたときに、それを誰かに知ってもらいたいって思うのと似てると思います。

(その方法をミスって、宗教全体のイメージが悪くなった宗教もありそうだけど。)

 

わからないから怖い、嫌だって思うのって、もったいない。

知ったら、おもしろいかも。怖くないかも。新しい気づきや出会いがあるかも。

ただし、ほんとうに怪しいものもあるかもしれないから、「学ぶ」「経験する」という気持ちでいるのがいいのかな、とも思っています。

 

子育てや人付き合い、生き方においても、無知による偏見って様々にあると思います。

無知が偏見をうむ。だから、私は学びたいし、考えたい。

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